お盆には先祖の霊を迎える

お盆は正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といい、先祖の霊が帰ってくるといわれています。時期は7月13日を「お盆の入り」とし、16日の「お盆の明け」までの4日間を言います。旧暦の7月、または8月15日前後にお盆の行事を営む地方もあります。

お盆を迎えるにあたっては、仏壇をきれいにし、お盆の入りの前日には仏壇を清め、先祖の霊を迎える盆棚(精霊棚)を設けます。13日の夕方(夜)、戻ってくる先祖の霊が迷わないよう、玄関先や庭先でおがらを燃やして迎え火をたきます。都会ではロウソクをともすだけで十分でしょう。お盆明けの16日夕方には、迎え火と同様に同じ場所で送り火をたき、霊を送ります。

盆棚

精霊棚ともいいます。最近は仏壇の前に小机をおいて、真菰やすのこを敷いて簡単な盆棚とすることがほとんどです。仏壇から位牌を移し、香炉、花立、燭台をおき、季節の野菜や果物、水を供えます。先祖の霊の乗り物といわれる、きゅうりやなすで作った馬や牛の飾り物を作るのも昔からのならわしです。盆の間は仏壇の戸は閉めておきます。

野菜の乗り物は、迎え火のときは、家の中に向け、送り火のときは、極楽に行けるよう、家の外に向けます。

初めてのお盆は新盆の供養を

人が亡くなって初めて迎えるお盆を新盆(初盆)といいます。忌明け前にお盆を迎える場合は、翌年を新盆とします。新盆には近親者や友人が集まり、ていねいに供養をします。

霊が迷わないように、お盆の間は軒先か、仏壇のそばに提灯を飾り、夜には明かりを入れます。新盆には近親者が白い提灯を贈る習慣もあります。正式には喪家の家紋を入れたもの一対を贈ります。

お盆の意味・由来

お盆という言葉のもとになっているのは盂蘭盆です。盂蘭盆とはサンスクリット語で救済を意味します。つまり、お盆は自分の親や先祖を死後の世界で困らせない、苦しませないために、救済する、助けるための行事が原点です。

仏教では死後の世界にはいろいろあります。極楽もあれば地獄もあるのです。そこで、場合によっては迷い道に入ってしまったかもしれない先祖のために、それを助けたい、また幸福でいるよう祈りたい、と願うのがお盆なのです。

ではなぜ迎え火や送り火、精霊流し、大文字焼きなどがあるのでしょうか。それは、先のお彼岸や一般の法要は、こちらからお墓に行って供養するのですが、年に1回のお盆では、たまにはご先祖さまにわが家に戻ってきてもらって、供養させてもらおうとしているためです。

したがって戻ってきてもらうためには、道に迷わないよう迎え火を焚き、また帰るときも迷わないよう送り火を焚くわけです。その行事というか行いが大規模になったものが、大文字焼きですし、精霊流しということになります。

各家庭では野菜や果物をお供えしたり、それらで動物をつくったりする地方が多いのですが、これはご先祖さまが戻ってくるのを歓迎したり、また動物に乗って疲れることなく無事わが家まで到達してもらうためのものです。

お盆にはお坊さんにお経をあげてもらう家も多いわけですが、それはご先祖さまにも仏の功徳を受けてもらおうというためなのです。

都会では最近はすべてが略式化され、迎え火や送り火は焚かないのが一般的になっています。

お彼岸

彼岸とはあの世であり、お彼岸はあの世に行った人を供養してあげるとき、と思っている人が多いと思います。しかし、まず彼岸は必ずしもあの世ではありません。彼岸は此岸と対をなす言葉であって、此岸は迷いの世界、彼岸は悟りの世界を意味します。この悟りの世界には修行をつまないと私たち庶民はなかなか行けないということもあるため、死んでから彼岸に行けるとすることイコールあの世という理解が出てきてしまっているのでしょう。

つまりお彼岸は悟りの世界(岸)ですから、せいぜい年に二回くらいは私たちも仏教のお勤めをして悟りの岸に近づく努力をしよう、彼岸に近づこうという日になるわけです。

また、お彼岸はご存じのように中日をはさんで七日間あります。これは、一週間くらいにしておけば、忙しいなカでも皆がお墓詣りをしやすいだろうという配慮からではありません。じつは、彼岸に近づくために一日にひとつ、合計六つで六日分の仏教の実践行を行ない、残り一日はその総まとめをして七日間となっています。つまり、七日間のお勤めでお彼岸の期間に悟りの世界に近づきましょう、というものです。

では、この仏教の六つの(六日分の)実践行とは、どんなものなのでしょうか。それは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧です。

布施は、お寺に対するお布施もこの字ですが、ここでは人々に施しをするということです。お経に対し謝礼を出すのもそうですし、貧困や災害で困っている人たちへの協力や寄付も布施の実践です。つまり、ひとつは布施を行ないなさいということです。

持戒は、戒律をきちんと保ちなさいということです。これは、五戒というものを守れということで、殺生するな、盗みのようなことをするな、邪淫をするな、妄語を言うな、飲酒は適度にしろ、というものです。

次の忍辱は、まずじっと我慢をして、よく考え、それから行動なり判断をしなさいということです。四つ目の精進は、何事にも一生懸命努力しなさいということです。

五つ目の禅定は、何をするときも心を集中させて行ないなさいということです。じつは、このことこそが禅なのです。

六つ目にいよいよ智慧です。この智慧は今までの五つすべてにかかる最重要課題です。五つの実践がじつは自分が儲けるためなど欲望のためであれば、これは悟りの世界とは別ものになってしまいます。つまり先の五つはすべてこの智慧によって実践されなければならないということを、ここでは意味します。

ではその智慧とは・・・となったところで思い出していただきたいのが、般若心経です。般若心経は「大きな智慧で彼岸に達する中心となるお経」であると先にご紹介しました。その智慧こそがまさにこの智慧であり「こだわりのない境地を得る」ことで、迷いや苦しみから解き放たれ、悟りを開く、彼岸に達することなのです。

このように、お彼岸とは本来、七日間の修行をする日なのです。「七日間もですか」という人もありそうですが、本来なら一年を通して修行して初めて意味あるものなのです。それを年に二回に短縮して行なうわけですから、楽であると考えるのが自然でしょう。この七日間も今では墓参りだけの日とされ、六つの実践をする人はほとんどいないようですが、せいぜいその一週間は暮らしを持戒して、布施、忍辱、精進、禅定、智慧に努めたいものです。

まとめ

お盆には先祖の霊が戻ってくるといわれていますので、お盆を迎えるにあたっては、仏壇をきれいにし、お盆の入りの前日には仏壇を清め、先祖の霊を迎える盆棚(精霊棚)を設けましょう。また、お墓参りも合わせて行いましょう。